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ライフコーチ刈谷洋介の自分史【5/7】〜 MBA留学・天国と地獄の30代 〜 前編|ライフコーチング |コーチング・エル

2022年8月20日

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ライフコーチ刈谷洋介の自分史 〜その5〜  MBA留学、天国と地獄の30代 〜 前編

2011年 イギリス 国立バーミンガム大学MBA入学

〜退職、国際結婚、ビザで苦戦〜

ライフコーチ
UK留学中。バーミンガム大学キャンパス内。

ここで、少しだけ妻との出会いに触れておきたい。僕は妻と日本で出会った。中国人の彼女は僕の4つ下の入社で後輩にあたる。日本語堪能、日本の大学を首席で卒業、駐在員として入社という自分にはもったいないほど優秀な人との結婚だった。僕の駐在先の上海に彼女が日本から帰任するという形で、上海でもオフィスが同じになったことが付き合うきっかけになった。上海でも同じ職場になるとは夢にも思っていなかったので、これは運命と感じて猛アタック。今を振り返ってみても本当に自分の行動力だけは誉めてあげたいと思う(笑)。

苦学生だった彼女はバイトと奨学金で大学を卒業して外資のソニーグループに入社した。順風満帆の人生だったはずだ。入社後は3年目でマネージメントに就任したが、それを僕の夢の為にたった2年で捨てることになる。僕は夢を追うと決めた後も将来の不安で取り乱したり、プレッシャーで押しつぶされそうになったりしたけど、彼女は常に冷静に僕のことを励まし、支えてくれた。そんな関わり方は今でも全く変わらない。どんな時も、近くで信じてくれる妻の存在があるから、今の僕がいる。本当に、本当にありがとう。

そしてMBA留学を決めてから、やることは山のようにあった。妻のお母さんや上司への報告、駐在中の退職手続き、国際結婚手続き、妻のVisaの準備、そして留学準備など、目まぐるしくやることに追われていた。人生の大きな波が一度に押し寄せてきた感じだ。まずは妻のお母さんへの報告だ。僕は下手な中国語の手紙を用意し、上海を訪れていた妻のお母さんに、自分の言葉で結婚の意志を伝えた。妻に伝えてもらうという手もあったが、僕は自分の言葉で伝えたかった。彼女と結婚したいこと、仕事をやめること、貯金はなくなるが僕には夢があること、一緒にその夢を彼女と追いかけたいことを懸命に伝えた。妻の祖母の世代は戦争を経験しているし、中国人は必ずしも日本に対してのイメージは良くはないことは中国滞在を機に身を持って理解していた。だが、彼女の母は快諾してくれた。中国では俗に、結婚するには男性が、家、車、仕事が必要と言われている。仕事も、お金もなくなる、ただ夢しかないような僕との結婚を認めてくれたこと、今でも僕は妻のご両親に心から感謝している。

結婚式は妻の地元の成都で行った。ビザ取得の関係で、中国人が日本に来るより、日本人が中国に行く方がスムーズであること(※)、また、妻が祖母に晴れ姿を見せたいという思いがあり、中国で行うことを決めた。中国の伝統様式で実施した結婚式で、下手くそな中国語でスピーチしたっけなぁ、、、父のスピーチもとても感動したし、何よりも、妻の祖母と僕の母が健在のうちに両家で家族写真を撮れたことがなによりの思い出だ。わざわざ東京から参加してくれた家族、親友、そして退職したにも関わらず、電報をくれた同僚の皆さん、本当にありがとうございました。

※日本人のパスポートは世界トップレベルに優遇されている。当時日本人であれば2週間、中国にビザなしで渡航できた。中国人は日本へビザなし渡航はできない。

結婚式を終えてからは、妻の日本入国のビザの準備が始まった。重慶の領事館とのやりとりに始まり、僕が先に日本へ帰国、入国管理局へ何度も通うなど、ビザの取得にはかなりの工数がかかった。正直、結婚したのに、ビザ手配のためにこんなにも長い期間離れ離れにならなければいけないのかと、国際結婚の現実を突きつけられた気がした。そして、僕が日本に帰国して待つこと数ヶ月、妻の日本入国へとなんとか辿り着いた。この間、志望大学院の選定、留学候補先とのやりとり、英語力の強化、大学や職場からの推薦状の準備など、相変わらず慌ただしかった。推薦状にご協力くださった当時の法学部長、職場の先輩、推薦状の翻訳をしてくれた同期には心から感謝している。彼らがいなかったら、僕の留学は実現しなかった。本当にありがとうございます。

〜国際結婚の妻と共に、イギリスへ渡る〜

ライフコーチ
念願のイギリス生活が始まった

志望先の大学院は、イギリスの国立バーミンガム大学に決めた。まずは1年制で、且つ学費が比較的安かったこと。当時のFinancial TimesのTop100の大学院の中で、僕の貯金で賄える大学院は限られていた(生活費、旅費、学費を入れると1,000万でいけるMBAは限られる)。また、ヨーロッパをできる限り旅したかった僕は、国際空港のある街が好ましかった(僕と妻は留学中の一年強でヨーロッパを10カ国旅した)。バーミンガムには中心部から電車で程近くに国際空港があり、ヨーロッパの各種主要都市への路線が運行されている。これも留学先の決め手になった。Pre-schoolに参加の為、僕は2010年の五月に、そして妻は十月にイギリスへ入国した。この時のビザ関連もとても大変だった。当時、妻はまだ日本の永住権を取得していなかった。イギリス留学中に日本入国への居留許可の有効期限が切れてしまい再入国できない可能性があった為、入国管理局へ事情を話し、頭を下げ、妻が日本出国前、通常より早いタイミングで更新してもらうことができた。

数々の難局を乗り越えて掴んだイギリスへの切符。本当に大変で、もうあんな経験は二度としたくないと思うほどである(笑)。妻が十月に入国する時、僕はバーミンガムの街からバスでロンドンのヒースロー空港へと、おにぎりを握って迎えに行った。到着後、バスを待つベンチで、美味しい美味しいと食べてくれ、長旅の疲れからか、安心からか、隣で眠りに落ちた妻の顔が今でも忘れられない。このたった一年の間で「上海、成都、東京、バーミンガムと目まぐるしく移動してきたね。本当にお疲れ様」、そんな気持ちだった。そして、ここイギリスの地で新婚生活とMBAへの挑戦が始まった。

〜お金はないけど、夢はある〜

ライフコーチ
母校のイギリス、バーミンガム大学

MBAの生活は、本当に楽しかった。世界40ヵ国から来た学生達と過ごす日々は、とても刺激的だった。TOEIC300点台だった自分が、その4年後に海外駐在を経て、イギリスで英語で授業を受け、レポートを書き、試験を受けていることがにわかに信じがたかった。高校時代は勉強を放棄し、高3では赤点だらけでドロップアウト寸前、大学受験も価値がないと突っぱねて、六本木と渋谷に入り浸っていた自分の周りには、各国の中央銀行や政府機関から派遣された留学生、日本人留学生にもゴールドマンサックス出身の方や、超優良企業からの派遣留学生などこれまで自分が関わってこなかった世界の人たちが多数在籍しており、ダイバーシティーに富んだ人達との出会いはとても刺激的だった。

もちろんMBAで学んだ知識や経験自体は価値あるものだが、世界中に友人ができたことや、多くのヨーロッパの都市を旅できたこと、そして何よりも、20代で自分が取れる精一杯のリスクを受け入れて夫婦で行動に移せたことが、自分にとっては最も価値ある体験であったことは間違いない。一方で、生活面はお金がギリギリだった。5ヶ月間の寮生活を終え、ヨーロッパの旅を目論んでいた僕は、妻の渡英前に街の中心部にマンションを借りた。ここからだと空港も近いし、街の雰囲気も味わえると思ったからだ。大学近くに住む選択肢もあったのだが、僕はずっと大学にいるよりも、できる限りバーミンガムの街や他の都市も味わいたかったので、外に出やすい中心部を選んだ。

この頃は毎日買い物をするにも、値札を見ては予算をオーバーしないように気を使った。駐在中は待遇が良かったので、値段を気にしたことなどほとんどなかった。そこから180度逆の貯金をすり減らしながらの生活は、苦しいと思いきや、意外に楽しかった(笑)。自分で人生を選択しているという実感があったし、自分で決めて、自分で責任を負っていることがそう感じさせてくれたのだと思う。「お金はないけど、俺には夢がある」こんなことをいつも妻に言いながら、日々を過ごしてたっけ(笑)。でも、高待遇の駐在員から、キッチン共有でベッドと勉強机だけの寮生活へと生活が一変したときには、流石に慣れるのに時間がかかったことははっきりと覚えている。

〜ヨーロッパの旅、そして、MBAの卒業〜

ライフコーチ刈谷洋介の自分史【5/7】〜 MBA留学・天国と地獄の30代 〜 前編|ライフコーチング |コーチング・エル
留学中、合間を縫ってヨーロッパ10ヵ国を旅した

MBAの授業の合間を縫っては、ヨーロッパの都市へと旅に出た。妻との新婚旅行はフランスだった(かなりの貧乏旅行(笑))。パリやモン・サン・ミシェル、そしてフランス国内を南に移動して南仏ニース、マントン、エゾ、イタリアとの国境バンテミリアなど、さまざまな都市を訪問した。妻はやはりここでもビザが必要で、シェンゲンビザを取得し、シェンゲン協定加盟国であれば自由に渡航できるビザを取得した後にヨーロッパの旅を楽しんだ。この時にも、日本人のビザ優遇には改めて驚かされた。僕たち日本人はビザなして100ヵ国以上渡航できるが、これは相対的に見ると当たり前のことではない。妻が中国人である僕は、今でも常にこう感じている。そして、あまりにビザ関連に詳しくなったので、行政書士にでもなろうかと思ったくらいだ(笑)。

南仏はあまりに好きで、2回行った。それ以外にも、イングランドも10都市以上、スコットランド、ドイツ、オーストリア、チェコ、ドナウ川からフェリーでスロバキアへ入国、MBAのスペイン人の同級生の案内で、スペインのマラガから車で南スペインを横断して、モロッコを対岸に見渡すジブラルタル海峡への旅など、最高の思い出を作ることできた。

学業は順調、成績も特に問題はなく、最後の筆記試験を無事に終え、卒論も同級生より早く書き上げた。論文のテーマは「How can a SME develop a new business strategy 」だった。先に述べた、日本初の語学コーチングスクールであるプレゼンスのような小規模事業者が、如何にして戦略を立案し、サバイブするかという課題について、内部環境分析や外部環境分析を用いて考察するというものだった。もう11年以上も前になる。僕はMBAに挑戦する理由、卒業後の進路、そして修士論文に至るまで、常に「プレゼンス」が中心だった。そんな未来への希望に溢れていた真っ只中、僕にとって、信じられないような出来事が起こった。

セッション内容詳細について

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