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明日世界が滅びても、今日りんごの木を植える : ルターとフランクルにみる「希望の実存」

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りんごの木を植える

たとえ明日、世界が滅びるとしても、私は今日りんごの木を植える

「たとえ明日、世界が滅びるとしても、私は今日りんごの木を植える」

先日あるコーチングのセッションでクライアントが言葉にしたこの一節、とても深く心に刺さりました。

僕はキリスト教徒ではないけれでも、何故このルターの言葉がここまで心に響くのだろうか、その理由を自分なりに考察してみました。

まずこの言葉は、宗教改革者マルティン・ルター(Martin Luther)が語ったとされる一節として知られています。

実際には史料に残っていない伝承的な言葉と言われているようですが、ルターの信仰の核心を象徴する思想として、今日まで語り継がれています。

信仰とは「結果を超えて行う行為」

まずルターにとって信仰とは、「報われるから行う」ものではないのでしょう。

救済の保証があるから善をなすのではなく、「神を信じるという行為そのものが意味を持つ」のだと思います。

世界が明日滅びようとも、今日りんごの木を植えるという姿勢は、「結果に左右されない行動」=「意味への忠実さ」を象徴してると言えます。

これはまさに、外的成果よりも内的誠実さに生きるという、ルター的な信仰の姿です。

絶望の中の「意味」:フランクルとの共鳴

精神科医ヴィクトール・フランクル(Viktor Frankl)は、強制収容所での体験を通じて、こう語りました。

「人生の意味を問うのではない。人生があなたに意味を問うのだ」

彼にとって人間の尊厳とは、どんな状況でも「自分の態度を選ぶ自由」を失わないことにありました。

たとえ明日が存在しないとしても、「今日、私はどう生きるか」を問うのが人間であり、その問いに誠実に答える行為こそが「意味を生きる」ということです。

この思想は、ルターの信仰の態度と深く響き合います。

どちらも、「希望は結果ではなく、行為の中にすでに存在する」ということを教えてくれます。

 「植える」という行為の象徴性

りんごの木を植える行為は、未来への贈り物です。

それは自分が実を食べるためではなく、誰かがいつかその実を手に取るかもしれないという「信頼」の表現でもあります。

この「自分を超えた他者への思い」は、アドラー心理学でいう「共同体感覚(Gemeinschaftsgefühl)」とも通じます。

すなわち、「自分が世界に何を与えるか」という視点です。

滅びゆく世界で「希望を植える」

現代は、地球環境、戦争、AIによる社会変化など、不確実性や不安に満ちています。

それでも私たちは、「自分の手の届く範囲に、ひとつの善意や希望を植える」ことができるのです。

それは木を植えることでも、
誰かを励ます言葉をかけることでも、
誠実に仕事をすることでもいい。

その小さな行為こそが、希望を“待つ”のではなく、“つくる”という態度の現れなのかもしれません。

終わりに :希望は、今この瞬間に根づく

「りんごの木を植える」というルターの言葉は、明日の保証がない時代を生きる私たちへの貴重なギフトなのかもしれません。

希望とは、未来の結果ではなく、いま、意味を生きようとする意志そのもの。

フランクルが語った「意味への意志(Will to Meaning)」と、ルターの信仰に宿る「意味ある行為」は、共に不確実な世界における確かな生の姿勢を示しています。

僕もこの言葉から学び、また今日も、ひとつ、りんごの木を植えます。


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