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刈谷洋介の自分史 — Chapter 2:拡張|全能感の中学時代と、挫折を知った高校時代
1995年 世田谷区立北沢中学校入学
1998年 國學院大学久我山高校入学
〜やり抜いたバスケットボール〜

強豪だった中学のバスケの練習は信じられないほど厳しかった。休みはほぼなく、とにかく走る練習が中心。顧問の先生もすごく怖くて、暴力なんて当たり前。僕は先生に最も多く殴られた。きっと生意気だったのだろう。バスケットーボールを20回以上顔面に投げつけられたこともある。そんなことが当たり前の時代だった。それで文句を言う親もほとんどいなかったし。今考えると凄い時代(笑)。野球では全く活躍できなかったけど、バスケではそこそこ活躍できた。運動は決して得意ではなかったが、長距離走だけは速くて、学年でも常に一番だったからスタミナと気合いだけはあった。
また、スリーポイントが得意だったのでシューターとしての才能はあったのだと思う。スラムダンクで言うとミッチー的なポジション、と自分ではそう思っている(笑)。東京準優勝時代には6マン(スタメンではないけど、最初の交代枠として出場する選手)で試合にも出られたし、全国大会の出場権を得るための関東大会のベスト4決めではほぼフル出場で活躍もできた。そしてその試合は、残り数分で逆転負けするという結果で3年間のバスケ生活を終えることになる。
あの時は泣きじゃくったな〜。ロッカールームで涙が止まらなかった。どうしても全国大会に出たかった。その時に一緒に戦った友人は、今でも心の友と言える親友だ。今振り返ると、あの経験は、人生で初めて「何かをやり抜いた」という経験だったかもしれない。
〜地元仲間とのタイトな絆〜

バスケの話だけを書くと、スポーツにのめり込んでいた好青年のように見えるが、僕はそんな真面目な学生ではなかった。昔から好奇心が旺盛で、いろんなことに手を出したくなる性格。それは今でも変わっていないなぁと思う。バスケを死ぬほど練習する傍、夜な夜な家を抜け出して地元の悪ガキたちと一緒に夜中まで遊んだ。リーダーの家に集まり、ギターを片手にお酒を飲んで歌いまくったり、爆音で歌いすぎて下北沢の商店街にまで音が響き渡り、友人のお父さんに怒鳴りつけられたり、ここには書けないけどいろんな悪いことをした(笑)。
バスケはバスケで楽しかったけど、なんかそれだけじゃ物足りなかった。公立の学校には本当にいろんなタイプがいた。慶應や早稲田の附属校、都立のトップ校に入る超優秀な同級生、超ヤンキー、バスケの申し子のような天才、今思うと、公立の中学に行って本当に良かったと思っている。あそこで多様な人たちと関われたことで、生きる道はひとつじゃなく、個性を活かして生きていくことの大切さ、みたいなことを学んだような気がする。バスケだけがすべてじゃないし、遊びだけが全てでもない。興味のあることを片っ端からやってみて、楽しいと思うことを追求する。そんなスタイルはこの頃に確立されたのかな、とも感じる。
〜ほぼオール2から偏差値70の進学校へ

バスケと遊びしかしていなかった僕の成績はほぼオール2(笑)。中学でも相変わらず音楽だけは突出して成績が良かったが、それ以外、体育は4、勉強は2と3が並んでいる感じで、偏差値換算だと40台。母親からは、「あら、またアヒルさんが並んでるわね」なんて笑いながら揶揄されたものだ(笑)。
僕は中学3年の夏まで全国大会を目指してバスケをやっていたので、受験勉強の開始が遅かった。確か受験まで半年もなかったと思う。第一志望は東京の私立、國學院久我山高校だった。しかし、当時の久我山の偏差値は70程あって、進路指導の先生からは「絶対に無理」と言われていた(ひどいこと言うよな、笑)。しかし、その場で母が「この子なら出来ます」と言い放った。僕はあの時に初めて、人から信じてもらう力の偉大さを体感した気がする。一体母は、アヒルが並ぶ通信簿の僕の何に根拠があって、あのように言ったのかは分からないが(笑)、嬉しかったことだけは確かだ。子を思う母の愛だろうか。思春期のお年頃、少し恥ずかしかったが、僕はこの気持ちに応えたいと思った。
現実問題、半年で偏差値を30近く上げることは容易ではなかった。僕は戦略的に3教科に絞り込み、都立は受けずに、私立に絞り込んだ(そもそも都立には全国大会を目指せる高校が無かったので候補から外れた)。寝る間も惜しんで勉強した。人生であんなに勉強だけに時間を使ったのはMBA留学中と、この時だけだと思う。その年、高校の冬のバスケの祭典であるウインターカップで國學院久我山高校が全国準優勝という成績を残し、どうしてもこの高校でバスケがしたいという気持ちは増すばかりだった。毎日のように地元の図書館に通った。寝る間を惜しんで勉強した。そして、ここでは苦手な数学を友達に教えてもらったことを今でも覚えている。彼がいなかったら僕は合格していなかったかもしれない。自分の勉強もあるのに、僕の勉強に付き合ってくれたM君、本当にありがとう(彼とは今でも親友だ)。
そして、猛勉用の末に合格発表当日を迎えた。
そこには、見事に桜が咲いていた。
〜バスケで挫折、渋谷、六本木へ入り浸る〜

あんなに努力して入学した高校、さぞかし順風満帆と思われるかもしれないけど、僕にとって、高校は最も苦しく、辛い時期だった。恐らく校風が合わなかったのだろう。國學院久我山高校は東京で最も校則が厳しい学校の一つとして有名だ。朝にはモーセの十戒のごとき、先生が両脇に並んでおり、生徒はその間を通過していく。髪が耳にかかっていたら先生に呼び出され、切らされる。軍隊のような高校では、グーでなぐられて血を流す生徒もいた(笑)。
中学は公立でスポーツ、遊びを自由にやってきた自分は、「えらいところに来ちまった」と内心感じていた。バスケの練習のスタイルは中学とは違い、とても効率的だった。体育館はバレー部などと兼用のため、近くの別の体育館まで移動し、そこで基礎練を終えてから、学校の体育館へ戻って試合形式の練習が始まる。頭を使って練習しないと最大の効果が出せない、そんなスタイルの学校だ。そして勉強をしないと試合に出られないという噂もあったため、僕は高校一年時に勉強も頑張り2年生からは文系優組と言われる選抜クラスに所属し、試合に出してもらえる準備も着々と進めていた。
しかしこの辺りから、徐々に違和感を感じ始める。相変わらず地元との関係がタイトだった僕は、高校のカルチャーや、自由からは程遠い管理体制に嫌気がさしてきた。今思うと、そんなことちゃんと調べてから受験しろと思うところだが(笑)。バスケ部では先輩の理不尽な暴力もあったし(今でもあれは理不尽だと思っている)、実家でも家庭不和が起こり始め、徐々に家庭内が荒れ初めてきたのもこの頃だった。父は単身赴任でほぼ家にはおらず、母が教育の全てを請け負うことで、プレッシャーも感じ始めていたのだろう。姉と母の関係も悪化し、家は無法地帯になっていった。僕には、家庭で起こる現実と、高校の厳しすぎる管理体制を受け入れられるほどの器はなかった。
バスケよりもどんどん地元の仲間たちとの時間が増えるようになり、バスケも、勉強も全く身に入らなくなった。この頃姉の影響で、渋谷や六本木に入り浸るようになる。渋谷と六本木の街は、本当に楽しかった。自分が生きている昼間の世界とは全く違う世界がそこにはあり、社会への不満や、劣等感、自分の居場所を探し求めるマイノリティー達が集まる場所に見えた。不法入国の外国人、踊る相手を探しにくる日本人、ただ音楽と酒に身を委ねる人たち、本当にいろんな人たちがいた。僕はここで、社会は多様な人たちで構成されており、「学校だけが人生を学ぶ場所じゃない」そんなことを考えるようになった。姉には本当に、人生の多くのことを教えてもらった。
昼間の生活に耐えられず、学校にも、家にも、大人にも、先生にも不満だらけだった。僕は逃げるように、そしてオアシスのように感じられた渋谷と六本木に通い詰め、その時間が増えれば増えるほど勉強はそっちのけになり、クラスでは常に成績ビリを争っていた。バスケにも身が入らなかった。今振り返ると、勉強は自分の責任なので良いとしても、バスケのチームメートには本当に迷惑をかけたと反省している。そんな中途半端な態度で臨んだことで、先生にも、全力で取り組んでいた仲間にも迷惑をかけたことは明らかだ。今でも繋がっている高校のバスケ部のメンバーには心から感謝しているし、彼らの器の広さを心から尊敬している。特にT君、僕がどんな時も、見捨てず、一緒にいてくれてありがとう。そんな友人を持てていることが、この高校時代の1番の財産だと思っている。この場を借りてお礼を言いたい。本当にありがとう。
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刈谷洋介の自分史 — Chapter 3:研鑽|大学時代の模索と、社会へ踏み出す「外側の鎧」の形成
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