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はじめに:なぜ今、ポジティブ感情が注目されているのか
ストレス、うつ、不安障害といった心の問題が深刻化する現代において、「ネガティブ感情のコントロール」だけでなく、「ポジティブ感情の育成」も重要なテーマとなっています。例えばポジティブ心理学が注目される背景には、単に「楽観主義」や「明るさ」といった気分の問題ではなく、人間の認知、行動、社会的適応力を高める根本的な力がポジティブ感情にあるという科学的知見があります。
アメリカの心理学者バーバラ・フレドリクソン(Barbara L. Fredrickson)が提唱した「拡張-形成理論(Broaden-and-Build Theory)」は、まさにその中核にある理論であり、「ポジティブ感情は人を拡張し、リソースを形成する」という視点から、幸福感と人間の成長に関する理解を大きく前進させました。
1:拡張-形成理論の理論的背景と目的
1.1 ポジティブ感情は何をするのか?
従来の感情研究は、怒り、恐怖、悲しみなど「ネガティブ感情」の機能に注目してきました。これらは危険や損失に対処するための「即応的適応行動」を引き起こすという意味で、生存のために不可欠です。
一方で、ポジティブ感情にはそのような「即応的な明確な行動傾向」は存在しません。喜びや愛、好奇心、感謝、誇りなどは、その場で逃げる・戦うといった行動を引き起こすものではありません。それにもかかわらず、進化の過程でこれらの感情が維持されてきたのはなぜか――この疑問が、フレドリクソンの問題意識でした。
1.2 理論の主張:Broaden and Build
フレドリクソンは、ポジティブ感情が
- 短期的には認知・行動レパートリーを「拡張(broaden)」し、
- 長期的には心理的・社会的・身体的資源を「形成(build)」する
という2段階のプロセスを持つと主張しました。
ポジティブ感情 | 拡張される認知/行動 | 形成される資源例 |
---|---|---|
喜び | 遊び、創造的探求 | 社会的絆、創造性 |
好奇心 | 探索、学習 | 知識、スキル |
愛 | 共感、ケア行動 | 人間関係、信頼 |
感謝 | 協力、関係深化 | 支援ネットワーク |
この理論は、進化心理学的視点と発達心理学的視点を融合したモデルであり、ポジティブ感情の「長期的適応機能」を体系的に示した点で非常にユニークです。
2:理論的構成要素の詳細
2.1 認知的拡張(Cognitive Broadening)
ポジティブ感情が生じると、人間の注意は外界に向かい、視野が広がる傾向があります。これは「注意の拡散(diffused attention)」とも呼ばれ、問題解決能力や創造性、柔軟な発想を促進します。
代表的な研究として、Isenらの研究では、被験者にキャンディを与えて気分をよくさせたところ、創造的課題(例:レンガの新しい使い方)に対する回答数が増えたという結果が得られています。
2.2 行動レパートリーの拡張(Behavioral Broadening)
喜びや好奇心、愛情といった感情は、私たちに新しい経験を求めさせたり、社会的関係を築かせたりします。これは進化的に見れば、子孫を残すための「長期的戦略」であり、直接的な生存には関与しないものの、種の発展には貢献してきたと考えられます。
2.3 リソース形成(Building Enduring Resources)
この理論の核心は、短期的な感情が長期的な資源形成につながるという点です。資源とは以下のようなものが含まれます:
- 心理的資源:自己効力感、楽観性、レジリエンス
- 社会的資源:支援ネットワーク、信頼関係
- 知的資源:スキル、知識、問題解決力
- 身体的資源:免疫力、健康行動へのモチベーション
2.4 ポジティブ感情の蓄積サイクル
ポジティブ感情は単発的に終わらず、形成された資源がさらに新たなポジティブ感情を呼び起こすという「拡張-形成サイクル」を形成します。この好循環は、自己実現やレジリエンス、ウェルビーイングの発達に貢献します。
3:応用分野と実践
3.1 教育における活用
ポジティブ感情を重視した教育環境は、好奇心を刺激し、探求的学習を促進します。SEL(Social Emotional Learning)との親和性が高く、子どもの非認知能力の育成にも有効です。
3.2 ビジネス・組織開発
心理的安全性や「働きがい」を高める取り組みは、拡張-形成理論の実践例といえます。従業員エンゲージメント、創造性、職場の協働性の向上につながるため、リーダーシップ開発にも活用されています。
3.3 医療・介護分野
慢性疾患患者に対し、ポジティブ感情を育む介入(例:感謝日記、瞑想)は、疼痛の緩和、免疫機能の向上など、身体的健康にも良い影響をもたらすとされています。
3.4 コーチング・心理支援
コーチングやカウンセリングにおいては、ポジティブ感情を生む「強みの活用」「未来志向的な質問」「価値観の明確化」などが、クライアントの行動の幅を広げ、成長を加速させます。
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4:代表的研究と脳科学的エビデンス
- Fredrickson et al. (2008): 瞑想実践とポジティブ感情の向上、社会的資源との関連性
- Tugade & Fredrickson (2004): 高レジリエンス群はネガティブ感情からの回復が早く、ポジティブ感情の発生頻度も高い
- Functional MRI研究:ポジティブ感情時には前頭前皮質が活性化し、創造的判断や長期計画に関与
5:課題と批判的検討
一部の研究(例:ポジティブ感情3:1の比率)については、後に統計的手法の妥当性をめぐる批判がありました。また、ポジティブ感情の価値を過大視しすぎると、現実逃避的な「トキシック・ポジティビティ(毒となる前向きさ)」に陥るリスクもあります。
しかし、拡張-形成理論の枠組み自体は現在でも教育、医療、ビジネス領域で広く参照されており、「ポジティブ感情を育む環境づくり」という視点の重要性を再認識させてくれる理論です。
まとめ:ポジティブ感情は未来を拓く鍵
拡張-形成理論は、ポジティブ感情が一時的な気分向上にとどまらず、人生の長期的な資源となることを科学的に示した理論です。この理論を日々の生活に活かすことで、私たちはより創造的に、よりしなやかに、そしてよりつながりを持って生きることができます。
特別なことをしなくても、小さな喜びや感謝を意識するだけで、私たちの脳は「拡張」し始めます。その積み重ねが、「形成」された自己資源となり、やがて困難を乗り越える大きな力となるのです。
参考文献(抜粋)
- Fredrickson, B. L. (1998). “What Good Are Positive Emotions?” Review of General Psychology
- Fredrickson, B. L., & Branigan, C. (2005). “Positive Emotions Broaden…” Cognition & Emotion
- Tugade, M. M., & Fredrickson, B. L. (2004). “Resilient Individuals…” Journal of Personality and Social Psychology
- Cohn, M. A., et al. (2009). “Happiness Unpacked…” Emotion
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